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いのち(8) [いのち]

とは対象を認識「知る」ことである。対象を感受して五感が「知る」こと。
『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを“身を脩(おさ)むるはその心を正すに在り”と謂う』
 意識は、「色声香味触」に触れて五識から統合された情報に対してどうしようという思量があることに気づいていることだと思います。

 人間の五感から入力された情報は脳の中でどのように認識されているのでしょうか。
脳は灰色で鱈子のような物質でしかない。脳科学では脳内の神経細胞間において、電気信号と化学物質が脳内ネットワークに伝達されていると言われています。前頭葉で思慮分別が行われているようです。神経細胞の大きさは、大きいものでは10分の1mm以上のものもあり、小さなものではわずか200分の1mmしかないようです。大脳では1立方mmに10万個もの神経細胞が詰まっているとされています。

 人間の脳を生物コンピュータとして考察してみます。中枢神経(脳と脊髄)全体の数では神経細胞が2,000億個程度あると言われています。脳内の神経細胞数(ニューロン)は、大脳皮質には140億個、小脳は完成されており1000億個程度あり、神経細胞にはそれぞれシナプスがあり約10^5個(100,000個)だそうです。
 実際にどれくらいのシナプスが働いているかは定かではありませんが、脳の全てを使えるとすれば理論上は最大で2×1000億(=10^11)×シナプス数(10^5)=2×10^16ですが、使っている神経細胞を100分の1の1%だけ使用していると仮定して計算してみます。
 2×10^16÷2×10^2=2×10^14 100分の1(1%)であり、2×10^14ビットと仮定します。
 使っている神経細胞が10^14ビットなので2^(10^14)となります。
<例>
2^3=8で3ビットあれば8つの事象から一つを選択できます。Log2=0.301
Log2^3=3log2=3*0.301=0.602であり、10進数では、10^0.602=8となります。よって、2進を10進に変換すると10の0.602乗となり8の事象を選択できます。2^3=10^0.602

 2進の10^14ビットは2^(10^14)となり、10進数にするとLog2^(10^14)=(10^14)log2=(10^14)×0.301であり、10進数に変換すると30.1×10^12となり約30兆1,000億になります。よって約30兆1000億の事象に対して処理できるコンピュータだともいえます。

<視覚>
 我々が認識している対象は、目に入ってきた「光・色・形」などが網膜を通して電気信号に変えて、視神経を経由して脳に送られます。受け取った電磁波の周波数などの情報が後頭葉の視覚野に送られます。さらにそこから情報は2つに分かれ「位置・運動を認識する経路」と「色・形を認識する経路」に分かれます。次に統合されて現実の3次元の「映像」として認識されます。
 人間の目は、左右の目で見た「ずれ」のおかげで立体的見えています。視覚に関する脳の機能には、見えないものを補って見えるような働きやなんでもない対象に対しても何らかの意味がるかのように意味づけをして見ているといわれています。自分に都合よく解釈したり危険かどうかを判断のために認識したいようです。
 カラスや蝶は人間では見えない紫外線の色まで認識することができます。多様な色が見えることで間違いなく選択できるようになっています。人間は限られた周波数の中で認識できているだけの事です。見ている世界(人間の限られた認識能力)が全てではなく、脳内の映像を認識して、その見えている世界の範囲内に限られた情報を知っている全てだと主張しているにすぎません。

 人間の目で認識できる画素数は静止画では5億7600万画素のようです。
 人間の目で可能な色の認識数は1000万色程度ですので、24bit(1画素24bit=2^8=約1677万色)あれば対応できます。5億7600万画素すべてを認識するには5億7600万×24bit=138億2400万bitとなります。1つのニューロンにシナプスが10^4がそれぞれ繋がっていて、シナプスがONとOFFの動作だけてとみなせば、
138億2400bit(13.824×10^9)÷シナプス10^4=1,382,400bit、ニューロンが1,382,400個あれば静止画を脳内に映像として表現できます。

 人間の目で認識できる700万画素程度でフルカラー動画を再生するとしたらどれだけのニューロンが必要でしょうか。可視光線では点滅(周波数)は500THzであり1秒で500兆です。しかし、人間の脳で動画として脳内に映し出すには1秒で60フレームの60FPS(frames per second)程度です。0.1秒で6枚の画像処理ができればストレスなくスムーズに見えているそうです。
よって、1秒60フレームのを再生するには、700万画素(700×10^6)×フルカラー(24bit) ×60FPSで動画認識ができます。
7×10^6×24bit ×60÷シナプス10^4=1,008,000/秒 ニューロンが100万8千個あれば十分です。

 白色光をプリズムに通すと屈折によって、光の波長によって虹が現出します。
全ての色の根源は白色光であり、光の波長[電磁波の周波数]によって色々な色が脳内に像として作られていると言えます。縄のようなものを高速回転させれば、そこに物質が有るように見えます。原子が高速回転して結合すれば質感を持った物質として認識されることも理解できると思います。
あらゆるものが振動であり、周波数を脳が認識しているようです。

<聴覚>
 人間の聴覚の認識は20Hz~20,000Hz(20KHz)です。CDの情報は1秒間に44.1kHzの周波数で、16bit/s(2^16=65,536通りの表現が可能)となっています。CDは人間が聴き取れるとされる高域音の上限「20kHz」をターゲットとし、サンプリング周波数はその約2倍の44.1kHzに規格化されています。
 ハイレゾでは聞き取れない音(高音)と耳では感じ取れないが自然界に存在する音も記録しているようです。そのハイレゾは「96kHz/24bit」であり、24bit=2^24=16,777,216とアナログ波形に近い音と言われています。
 そのCDの情報量は、1秒当たり44,1(Hz)×10^3×16bit=705.6×10^3 /秒 です。
ニューロンの個数をもとめると。
705.6×10^3÷ニューロン10^4=70.56 約70個のニューロンがあれば脳内で音として再現できます。
 耳から入力された情報(周波数)はただの振動です。その振動を脳内で「音」として認識できるように変換します。それはただの「」でしかないのですが、長期記憶された「母国語の言葉」と照合し「意味」を持ち前頭葉で思考することができるようになります。本来は意味の無いただの振動であり、脳内でもただの「」でしかありません。新しい言葉は短期記憶に、よく使う言葉は長期記憶に記憶されている「概念で意味づけされた言葉」として使われます。

 水は酸素がマイナスの電荷、水素がプラスの電荷を持って結びついている水素結合でできています。水が熱せられると、水分子の運動が活発になり結合できなくなって空間に飛び散ります。また、気圧が低ければ低地の温度よりも低い温度で沸騰します。水が1気圧で0℃以下になると分子の運動がとまり結合します。
 物質に熱量を加えれば分子の運動が活発になり蒸発してしまいますが、空気中に分子が存在していて、水蒸気も冷やせば水に戻ります。融点に達したら固体から液体へ変化します。さらに温度を上げると原子となり気体となります。

 我々が脳で作っている像は、白色光が屈折した電磁波の周波数を読み取って、冷えた原子が高速回転して寄り集まった物質を認識していることかもしれません。人間は波や光の点滅や原子の回転運動や熱を感知しているだけのことかもしれません。形の無い熱・振動・光エネルギーでできた現象界をあたかも実体のある世界と認識しているとしたらどうでしょうか。
 人間をモデル化すると、エネルギーで活動できる生体コンピューターとなるかもしれません。現象界からの刺激に対して五感から情報を入力して生体コンピュータで判断できる存在です。原始プログラムである渇愛が無くならない限り体験受容体として再生します。宇宙の中に存在し宇宙と同じ物質から創られています。宇宙が何故作られたか解らないと同様に、人間の存在意味があるかどうか考えてみてください。
 長く生きようが、何か得ようが、名前を残そうが、欲望を満たそうが、何かを達成しようが、満たされることなく未練があるなら再生してしまう。もうこの世で経験する意味も無く現象界で繰り返される茶番劇にうんざりすることで再生しないのが仏道です。現象界がただの振動であり己も振動であると気づいたらどうなるでしょうか。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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いのち(7) [いのち]

 病気のほとんどが五臓六腑です。「脳」の病気も「血管や血液」の異常に由来するものです。血液の滞りや血液の凝固によって発症します。「脳」を正常に働かせるには「腸」を中心とした内臓系がいかに正常に機能しているかにかかっているのです。
 「脳」はとっさのときに交感神経を働かせ、身を守るために日夜働かされています。そのために、休息時間があたえられていますが、内臓系は日夜休みなく働いています。
 「脳」は「内臓」から摂取していただいた栄養を血管を通して供給していただき維持されているのです。、身体の一臓器であって、身体の「僕(しもべ)」かもしれません。「脳」は内臓系に作用できる範囲は小さいのに対し、内臓系から脳への関与は大きいのではないでしょうか。

 「脳」自体が血液を浄化したり、血液を造ったり、血液の流れを制御できるわけはありません。内臓からの指示を仲介して視床下部や延髄を経由して各器官に信号を渡しているだけではないでしょうか。内臓系は内臓の各器官がホルモンを分泌させて、精密な情報交換によって維持しています。「脳」はそれほど利口ではなく、生存のために危険な情報をすばやく察知し回避行動をすみやかにするために発達したまでの事ではないでしょうか。「脳」は、手足を巧みに動かすことで最も大切な「身体」を守ったり、「身体」に食料を提供するために活動させる役割を担っているだけだったはずです。

 「内臓」は各器官が分業して役割を果たしています。各器官に情報を伝える自律神経とホルモンがあります。それぞれの情報伝達スピードの違いで、その効果や持続時間にも相違があります。
 意志しないで、無意識的に働くのが脳幹(間脳・中脳・延髄)であり、内臓系神経と相互に情報交換することで、体内環境を維持しています。

 「脳」のみが主体となって身体を司っているわけではないと考えています。我々の身体の一つ一つの細胞は、まさに原初のマザーセルが息づいているはずです。細胞一つ一つが、原初のマザーセルから細胞分裂を繰り返し、それぞれの細胞が我々の意志とは無関係に、「いのち」の法則のとおりに活動しているだけではないでしょうか。
 それぞれの細胞は「生きたい」のです。その細胞の集合体である我が身は「生きたい」のだから生きる意味は、細胞そのものの本能です。細胞に対して一切の制御はできないのです。本能である「いのち」とは離れた、本能でない「脳」の「思考」によって「自我」が作り出す「負けないぞ諦めないぞ」という「意地」。煩悩を強める「無駄」なことは諦めることを試してはどうでしょうか。
身体の声に耳を傾け、自然の力に委ねることも時として大切なことです。

 「脳」が主であるという観念を拭い去り、「脳」を制御してやろうなどと考えず、坐禅により「脳」の活動を鎮め「脳」の呪縛から解放され、「内臓」が生き生きと機能してくれる生活を送る必要があるのではないでしょうか。

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記を願いいたします。


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いのち(6) [いのち]

<哺乳類と人間>
「恐怖と不安」を感受しているのは六根の情報が入ってくる脳です。脳の働きは、瞬時の情報収集と瞬時の情報伝達を担っているだけです。ヒトと動物を区別する根本的な特色は言語の使用であるという説に疑問を挟む者はいない。つまり、あらゆる事柄や対象に特定の意味を与える能力である。「象徴化の機能」である。
 内臓神経系は泰然自若です。体内に入った食物を選別し、好ましくなければ吐きだすこともあります。各臓器の役割を完璧にこなして、血液を循環させ栄養を全身に送ることで身体を維持しています。脳の神経を作用させるのにも、薬を脳に直接投与するのではなく内臓系によって脳に働きかけているのです。
 初期人類の脳の大きさはゴリラ程度で、現在の人間の約3分の1にすぎない。脳の拡大は、手指などの運動機能や視覚などの感覚機能の発達、言語能力の獲得、精神活動の活発化などによると考えられます。火の使用による調理された食料により顎の使用が後退し、脳の増大に繋がったとみられています。
雌雄が生殖能力を喪失した後も生存し続けることも動物独特のものがあります。雄のカマキリは生殖行動が終われば雌カマキリに食べられます。陽炎は羽化して生殖すれば死んでしまいます。他の生物は生殖が終われば、お役御免です。
 コピーして次世代へと「いのち」を繋いだので、細胞の役割は終わっています。しかし、社会構築の働き手としての役割があります。また、文化の継承や知識や技術の継承のために生存しなくてはならなかったかもしれません。生物的役割は終焉していますが、社会的な役割が残っています。
 社会的な役割を終えたら、精神性の成長をしなくては意味がありません。会社を定年された方は、残された期間に仏道へと進み聖なる道へ入らなければならないのではないでしょうか。

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
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いのち(5) [いのち]

 「いのち」が生き続けるには、「己」の生存につながることは摂取(執着)し、損になることは排除(忌避)することです。

 爬虫類と哺乳類の違いはなんでしょうか。本能から自己の意志を表現できる感情の感覚と、記憶を得たことだと思われます。
 人間の脳は脳幹(爬虫類脳:本能・欲望)、大脳辺縁系(犬などの哺乳類脳:好き嫌い・記憶)、大脳新皮質(霊長類脳・知性)のようにどんどん継ぎ足された三層構造でできていると言われている。

 魚類、両生類、爬虫類では、脳幹が脳の大部分を占めている。脳幹は反射や、えさを取ったり交尾するといった本能的な行動をつかさどっている。
 魚類と両生類では、生きていくために必要な本能や感情をつかさどる「大脳辺縁系」のみである。
鳥類や哺乳類になると、小脳と大脳が大きくなる。特に大脳の新皮質が発達し、「感覚野」「運動野」といった新しい機能を持つようになる。霊長類では新皮質 がさらに発達して大きくなり、「連合野」が出現し、より高度な認知や行動ができるようになった。ヒトでは、新皮質が大脳皮質の90%以上を占めている。

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 ヒトから人間(ホモ・サピエンス)へは、腔腸動物からヒトへの進化の過程と同じように進化したと想像されます。(これからは勝手な仮定)
 南アフリカでのホモ・サピエンスは、腔腸動物のように生まれた地域で生活していました。次に、徐々に行動範囲を広げていきました。徐々に群れを形成していった。
 群れはよりよい生活環境を求め互いに争いが起こっていった。水場の近くの群れは、水場に集まる動物を捕獲することで食糧に苦労することはなかった。
 
 水場争奪戦は、新たな知能戦となった。その日に食べる食料だけで良かったので、時間をずらして食料確保が行われていた。効率的に食料調達するために、罠を作り出す群れも現れた。
 手を使うことで大脳への血流が急激に増えることにより大脳ネットワークが構築されていった。大脳が使われることにより手の器用さも向上していき、発明が加速される相乗効果が起こった。
 
 フロンティア精神を抱いた群れのリーダーのもと、新たな水場をもとめて、あらゆる方向に散らばっていったのである。ホモ・サピエンスは行く先々で交配を重ねることで多種のDNAの多様化を受け入れ、あらゆる環境に適応できるようになっていった。
 また、言葉によるコミュニケーションを駆使して効率的な狩りや、群れの統制ができていったと想像される。生命維持のための心配は顕著に少なくなってきていた。

 人間の人体と同じように分業ができ始め、狩り専門職、武器製造専門職、調理専門職などがでてきた。
また、非常に大事なポイントとして火を使うことによって、暖と他の動物からの防御、火による食料の調理、地中の炭水化物の調理ができるようになった。さらに他の動物から食料を守る知恵が発達した。食料の保存・保管ができるようになり未来への備えが可能となったと思われる。炭水化物を分解して、脳に必要なグルコースという糖分がさらに脳の進化を促すことができた。

 その日暮しから解放されるにしたがい、道具などの発明に時間を確保できるようになっていった。
自然に翻弄され「今」だけの「恐怖と不安」に対処すればよかった「いのち」が、未来と言う「時間」の概念を手に入れた。これが新しい「いのち」への転換点になっていった。この転換点から未来への「恐怖と不安」に苛まれることになってきたのではと勝手に想像しています。

 保管や簡易な保存ができるようになってくることで「所有」という「概念」が生まれ、それが強い所有欲の「執着」となった。「所有物」の争奪戦によって「瞋恚」という「概念」も生まれた。
 「言葉」とともに「概念」が作られ、ありもしない「恐怖と不安」が作られていったのではないでしょうか。

 草原、二足歩行、水場、塩分、手の使用、大脳の発達、火、保管・保存、分業、専門職、言葉、概念、時間、未来、所有欲、争奪、ストレスなどのキーワードでヒトから人間への進化を勝手に理解し納得すればいいと思われます。

 「いのち」としては食べたり食べられたりは、「当たり前」のことです。進化の過程で「執着」や「怒り」も「当たり前」のこと。自らの煩悩が「当たり前」であると「安心」することがスタート地点です。ホモ・サピエンスが「神」や「真理」の概念に出会うにはまだまだ先のこと。

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いのち(4) [いのち]

 7億年から5億年ほど前の腔腸動物(ヒドラやイソギンチャク)から脊椎動物と無脊椎動物にわかれたとの説があり、その一方の雄である脊椎動物の頂点が、われわれヒトであるのと同様に、もう一方の雄はすなわち無脊椎胴部の頂点、節足動物、つまり昆虫です。 

 腔腸動物とは、近くにある餌となるものを体内に取り入れ栄養として生きていた「いのち」です。動物は植物と異なり、生きるためにただ「食べる」必要があったのです。
 腸の役割は、必要なものを取り入れ、不要なものは排出することです。我々の行動は、瞬時に反応し「己」がほしいと感じたものに囚われ執着し、腔腸動物の触角の働きと同じように、危険なものから手を引くような反射的な反応をしているのです。

 動物の行動であり「いのち」の営みですからその行動には「善悪」などありません。「いのち」として「己」の命を守り(栄養摂取)少しでも長く生きて(危険回避)いくことなど当たり前のことです。

 動物の中で、脳や脊椎、心臓がない「いのち」はいますが、「」がない動物はいません。身体の中で最も古く、最も大切にしなければならない臓器は「」ではないでしょうか。
 「」からすべての内臓が分化し、内臓神経系として心肺内臓神経,腹部骨盤内臓神経,骨盤内臓神経の3つが作られていったようです。

 動物の中で動物性機能と植物性機能があります。動物性機能は運動や感覚が含まれ、植物性機能には栄養・成長・生殖などが含まれます。「」は消化器官ですので植物性機能です。
 人間の受精卵の胚発生の段階に動物極と植物極が認められます。これは、まさしく陰陽太極図を思い浮かべるほかありません。
 「腸」がつくられ、次に神経系がつくられていくのです。受精してからの進化は、魚類、両性類、爬虫類、哺乳類、ヒトとなって、この世に生まれ出でます。

 この数十億年の進化の過程を、10か月余りの間に体験してしまうのです。この地球上で数えきれない生死を繰り返した進化の最終形がヒトではないでしょうか。生物学的には、貪瞋痴の煩悩はなんら非難されることはありません。
 しかし、この「いのち」の飽くなき生存を「」と認識したのですから、「解決」しなくてはならないのです。もううんざりすると感じたのなら、この生の中で解決することです。次を期待すれば、また一からのスタートになるのです。(個人的な見解)

 頭(動物性機能)で納得するのではなく、身体(植物性機能)での納得が必要となります。頭で解ったではなく、腑に落ちる必要があるのです。腑とは内臓をしまいこむ部分の身体です。身体での理解がなければ真の理解とは言えないのではないでしょうか。頭だけの理解は、知識でことたりますが、身体での理解は体験が必要です。只管打座を何故勧めるかは言うまでもありません。(個人的な見解)

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いのち(3) [いのち]

<何のために生きるか>
 「いのち」の根本単位である細胞は、生存のために己の消滅を脅かされることに対して「恐怖と不安」がプログラムされていると思われます。(勝手な想像)
 この「恐怖と不安」を解消するために、自らをコピーし増殖することで己そのものの「いのち」を繋いで生きつづけようと必死であると思います。(コピーされても「恐怖と不安」は消えない)

 いかなる細胞であろうとも、自ら積極的に死のうとする細胞があるでしょうか。役割を終えて死ぬだけの細胞はあります。(カエルになるときにはオタマジャクシの尾)。
 細胞の「いのち」はすぐに終わってしまいます。そのわずかの時間の「いのち」の細胞が集合することで生命となります。
 細胞の集合体が臓器を作り、臓器の集合体が身体を作り、神経を集合させ脳という集合体をつくり、各集合体の集合体が人の「いのち」となります。

 部分的に寿命がきたとしても、他の部分の細胞が「いのち」を維持させることができます。細胞の観点から見ると、人間の死は、プログラムされた①アポビオーシスと②ネクローシスに分けられます。
 人間は他の臓器が複合的に不全とならない限り、プログラムされた死と言われるアポビオーシス (細胞の寿命死)によって死にます。 神経細胞や心筋細胞などの非再生細胞心筋細胞の寿命が「いのち」の寿命そのものとなります。

 細胞が集まった「いのち」は「物」です。自ら動かずに太陽エネルギーを摂取できるのが「植物」です。直接に太陽エネルギーを摂取できず動き回り、間接的に太陽エネルギー摂取をしなければならない「動物」であると思われます。

 ヒトは、有機物のグルコースなどを細胞の中に取り込みます。そして、細胞の中で、その有機物から酸素と酵素を使って反応することでエネルギーを取り出します。細胞自体がエネルギー源そのものです。
 植物は、植物の細胞に含まれる葉緑体は、1細胞あたり数十個〜百個以上と言われています。
葉緑体は、チラコイドにおいて光合成を行うことによって光エネルギーを生体エネルギーに変換し、さらにそのエネルギー を利用して二酸化炭素から糖などの有機化合物を合成するということです。

 ヒトは食物と酸素の摂取によって「いのち」を維持しています。細胞と同じで次の世代に己の遺伝子を繋げばそれで役割は終わりです、お払い箱なのです。

 「何のために生きるか」の前に、どうして生まれてきたかですが、それは縁によって生まれてきて「いのち」の法則に従い生きているだけです。
 人間社会で言われているような、望んだものを得る「財産を得る」「権力を得る」「名誉を得る」のが目的でしょうか。それは、細胞レベルから猿レベルに進化しただけのことです。

 己の「執着」に振り回され、己を見失うことになります。細胞レベルで役割を果たしたのなら、「毒矢の喩」にあるように、どうでもよいことから手を引き「安心立命」となりましょう。
 世間での「評価を得ること」と己の「恐怖と不安の解消」のどちらを選べばよいのでしょうか。他の評価に揺さぶられる「自己満足」か、揺さぶられない「自己理解」かだけの問題です。

 現世への執着をかなぐり捨てることで「恐怖と不安」を払拭し、縁を消滅することが残された人生で歩む道ではないでしょうか。


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いのち(2) [いのち]

<いのちの多様化>
 原始細胞はメスしかおらず、その細胞のコピーで成り立っていた。しかし、変化する環境に適応するために遺伝子の半分を他の細胞に移し、その生き残った細胞と結合することにした。その戦略とは、様々な環境に適合できる細胞の多様化であった。目の前の環境に適応できる細胞だけが次の世代へと引き継がれることとなった。

 ヒトの染色体数は常染色体22対で44。性染色体2本です。合計46本あります。 性染色体は、女性はXX,男性はXY.人は約23000個の遺伝子と、30億の遺伝子情報があるとのことです。

 DNAの一致率は、ヒトとバナナでは50%、ヒトと犬では80%、ヒトとチンパンジーのDNAは99%一致しているとのこと。
 その一致とは、ヒトの25%のゲノムとチンパンジーの18%のゲノムを無視して、残りの部分だけの約24億の遺伝子情報を比較して出されたのが「人間とチンパンジーはDNAが99%一致している」という99%一致といわれています。

<ヒトとして生まれる>
 人間の受精は、約2~3億の精子の中で最初に卵子にたどり着いた強い精子だけが卵子の中に入ることが許されるのです。女性は一生の間で、360~400前後の排卵があります。
 両親から1人の子供だけ生まれたとするならば、2億(精子)分の1×380個(卵子)分の1 =7600億分の1の確率です。(受精して生まれる確率)
 
※男性が一生で1回の射精だけで受精した場合です。もし、毎週1回で年52回、20年とすると1040回の性交があり射精してただ1人だけ生まれたとすれば、約1000倍してもいいと思います。
 また、女性の主席卵胞も約1000個から1個となりますので、もう約1000倍してもいいと思います。
1000×1000=1×10^6=100万倍となります。

 1世代前の父母のどちらも存在している確率が7600億分の1ですから。父母とも存在している確率は、7600億+7600億=1兆5200億分の1です。
 今の世界において、父母が日本人として生まれた確率は、世界総人口が50憶、日本の人口が1億とすると、50分の1の確率です。
 日本人の父母から日本で生まれる確率は、
①1兆5200億×50=1.52×10^12×50=75×10^12です。(^はべき乗です)
 
 日本の中ので、同一県内で生まれた男女が結婚したと仮定してみましょう。生まれた県内の総人口を200万人として、男女比が1:1と仮定すると、男100万人、女100万人です。その中で結婚適齢期の人口割合が男女各20%とすれば、男20万人、女20万人の中の2人が結婚する確率は、
②20万×20万=2×10^5×2×10^5=4×10^10 400億分の1です。

よって、日本人で同じ県内の男女からこの世に生まれる確率は①×②
①(75×10^12)×②(4×10^10)=300×10^22 =3×10^25となります。
 3兆×1兆分の1の確率で生まれたことになります。これは、1世代前の父母から生まれる確率ですので、脈々とつづく陸から隔離された日本という国、その国で生まれて存在している日本人。
 日本人としてこの世に生まれ、さらに仏法に出会う確率は想像をはるかに超えた宇宙レベルの確率ではないでしょうか。

 また、身体の細胞は40兆近くあるといわれています。その細胞の分裂可能回数は50回程度と言われています。「今この瞬間」に持ち合わせている細胞構成は一瞬です。常に身体の中で細胞分裂が起こっています。この奇跡的な生を無駄にしていいのでしょうか。
 サハラ砂漠の中から特定の砂粒を見つけ出すような確率で生を受けて、この世に出現して外界を認識している己なのです。
 
 同じ体で、同じ場所で、同じ感受はこの瞬間瞬間でしか味わえません。それが「一期一会」なのではないでしょうか。瞬間は消えてはまた生起してすぐに消えています。心は常に生まれ変わっているので新鮮な驚きと共に「一期一会」の出会いが続いていくだけです。
 過去も未来も「無」であるのですが、「記憶」が「有」と言い張っているだけではないでしょうか。できればいくばくかでも智慧が開けるよう精進したいものです。


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いのち(1) [いのち]

 地球上の「いのち」は、46億年前に強い紫外線や放射線大気はほとんどが二酸化炭素であり酸素のない環境の中で生まれたという仮説があります。DNAを含み酸素を使わない原核生物と酸素を使う細菌との細胞内共生により、ミトコンドリアとDNAを核とする動物細胞となったとのことです。
 
 また、植物細胞はミトコンドリアと葉緑体とDNAを核とする細胞として分化したようです。動物と植物の違いは単に葉緑体の有無の違いです。直接太陽エネルギーから有機物をつくることのできる植物と直接太陽エネルギーを摂取できない動物とに分かれました。
 
 動物は、植物もしくは他の生物からエネルギーを取り入れることでグルコースを使い、呼吸することによってATPに蓄えADP+Pに変換して生命活動としています。

 シアノバクテリア(27億年前、初めて光合成をした生物、光合成によって酸素を作り出した、光と水と二酸化炭素、)によって、大気中に酸素ができた。
 「いのち」の出発点において細胞自身が外界との間を細胞膜で隔てていたのです。細胞レベルの段階から「己」と「外界」は分離したものであった。


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