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荘子ー5 [気づき]

荘子―5
 あるとき庖丁(ホウテイ)が文恵君のために牛を料理したことがあった。

<略>

 これを見た文恵は、「ああ、みごとなものだ。技術もここまでくるものかな」と嘆息した。
 すると、庖丁(ホウテイ)は刀をおいて答えた。
「私が好きなのは道でありまして、技術以上のものです。私が牛の料理をはじめましたころは、目に映るものは牛の姿ばかりでした。ところが三年後には、牛の全体の姿がまるっきり目につかないようになりました。

<略>

これを聞いた文恵君は、感にうたれていった。「なるほどすばらしいことだ。わしは庖丁の話を聞いて、養生(ヨウセイ)の話を聞いて、養生の秘訣を知ったよ。」

「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P204 下段」養生主篇

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 私たちは子供時代を経ずに大人になることはありません。子供は大人がするような経験をまだしていません。したがって、大人の要求を理解することも満たすこともほぼ不可能です。
 大人は自身の子供の頃の気持ちは忘却の彼方にあり、子供に対して余裕をもって接することができなくなっているかもしれません。子供は失敗の連続です、思いがけず大人に怒られたり叱られることになります。
 怒るとは、自分自身の正当性を優先し他を責めることのようです。叱るとは、相手を優先し今後のために注意することのようです。子供は今を生きています、既に過ぎ去ったことを大人が怒ったり叱ったりするポイントがよくわかりません。特に無我夢中で遊んでいて憶えていないことに対して何故叱られているのか理解できないかもしれません。大人の感情に影響され、自身の感情もコントロールできないままにいます。このような体験を重ね、子供なりに混乱した状態から抜け出せるように頭を使い始めるのではないでしょうか。 

 子供には、大人の正解など分かりません。泣きわめいて感情を発散するしかありません。感情を発散し尽して、自分は空っぽだったふと気づくことがあるかもしれません。

 成長とともに自分(=思考)が解決するしかないと思う(=脳の癖)ようになります。この癖によって、思考している自分という幻想が定着していきます。思考は状況によって勝手に起こっていて、それを自分が起こしていると勘違いしているかもしれません。ある状況に思考が起こらなかったら状況に対処できません。自分が状況を作っていないので自分が思考を起こしているわけではないのですが・・・

 帰宅中に雨が降ってきたら、雨に対処しなければなりません。通勤中に電車が止まりエアコンが切れたら、会社に連絡するなり何らかの対処のために思考が起こります。
 雨も停電も自分が状況を作っている(=主体)のではなく、何が起こるか分らない中で生きています。自然に思考が湧いてこなかったら大変です。自分が思考していて、周りの状況にまったく影響されずに思考すると決めてみてください。しかし、状況が優先され状況に対処するために働きます。

 思考=「私」とは言えないのに、後出しジャンケンと同様に思考を自分の所有物のように扱います。我々は、常に勝っていたいかもしれません。思考が自分であり思考して導き出された決断を責めるということは、思考=「私」という幻想を認めずに、幻想を是認しているかのようです。
 思考は自分ではないので、決断して思い通りにならなくても何の問題もありません。今の状況は縁によって、今あるようにそうなっているというだけのことです。

 傘を持ってくればよかった、飲み会を30分早く切り上げれば雨に濡れずに済んだ。もう1本早い電車に乗っていれば、ひどい目にあわなくてすんだ。もう1日早い飛行機に乗っていれば台風を避けられた。不幸だとしている原因を探し出せば幾つでもあります。
 そもそも生まれてこなければ一切の不幸が無かったのにと極端な考えにまで行き着く人もいます。一体誰に責任転嫁すればいいのでしょうか。私を生んだ親が原因、人類が原因、地球が原因、宇宙が原因・・ちょっとしたことも不幸であるとすれば、果てしなく原因追求をし他の責任にします。自分で生まれてきたわけでもないし、自分の身体でもないし、自分の思考でもない、自分が作った自然でもない、自分が起こしている状況でもない、何処にも誰にも責任はないという事実。

 思い通りになったら誰も苦労することはありませんが、誰かが苦労しているから生きていけるということを知らなければなりません。インフラや薬や食料やゴミ・・・誰かが何処かでやってくれている。
 自分かわいいということは、他はどうなってもかまわないというところへ向かいます。そうゆう思いが思い通りにならない。宗教家が平和を願っても叶ってはいません、力があるとかないとか関係なくその彼らの思いもエゴかもしれないと疑ってもいいかもしれません。

 自分は身体であり、身体が自分という一体感が脳の癖として作られます。身体は「存在」と「本来の自己=空っぽの意識」の中間にあるインターフェイス(両者間のデータのやりとりを仲介するデバイス)かもしれません。
 
 そもそも「私=身体・心・アイデンティティ」は「本来の自己」ではなく、脳の癖から作られた「私」として確立されているようです。自身で作り上げ慣れ親しんでいる「私」です。身体と心が「私」であることをわざわざ疑わなくても幸せに生きていけます。何か得たとか何かに達したとか勘違いしている人よりもよほど自意識が正常です。

 思いの通りになるはずもない「私=身体・心・アイデンティティ」にすがっているかもしれません。ただ脳の癖で「私=身体・心・アイデンティティ」であり、この大前提が「嘘」かもしれないと見抜いてみよう。この見抜きができないといつまでも幻想の「私」に振り回されているかもしれない。経済的にも肉体的にも恵まれて、やれることはやり尽くしたといえる人生であれば何の問題もありません。
 
 腑に落ちない人生で終わりたくない。どうしても「私=身体・心・アイデンティティ」が解決したい、そのために「私」が考える。考えても考えても幻想の「私」ですから、存在しない「私」が存在しない「私」を救えないという錯覚ゲームをし続けることになります。セミナーに出かけ出費を重ねては、輪郭を浮かびあがらせてもらう「私」を作る程度かもしれません。どう頑張っても幻想は幻想ではないでしょうか。

 「私=身体・心・アイデンティティ」を解決するためには「私」を知らなければなりません。しかし、「私」を知る対象とするには「私」から離れて「私」を観察しなければなりません。残念なことに「私」から「私」が離れることなど物理的にも精神的にもできません。「私」から離れている「私(=実体のない幻想)」は「私」でしょうか。もし離れている「私」がいるなら、「私」がいない元の「私」は一体何でしょうか?「私」が立ち去った「私」でないものを「私」を知ることの意味はあるのでしょうか。永遠に「私」を知ることはできないということです。知ることの出来ないものを制御したり管理したり解決したり解放したりできるでしょうか。誰が誰をどうやって自由にできるのでしょうか?

 私たちは既に「それ」であり、何かになる必要もなく、何かを達成することもなく、何かに変わることもないようです。なりようがなく、変化しようがなく、自身で変化させようがありません。

 たかだか数十年の寿命の間で、身体のある部分(=例えば脳)が突然に進化することがあるでしょうか?なるほど、今ある筋肉を効率よく使えるようになるかもしれませんがたかがしれています。どんなに頑張ってみても人間のできる範囲内のことです。猫の運動神経や犬の嗅覚や他の生物が備えている能力の足元にも及びません。

 宇宙が身体を動かしています。「本来の自己=仏=仏性」が身体を通して「存在」を見ています。感覚や感情や思考はその都度の状況によって勝手に起こっているようです。「私が思考している」というのは、自らに貼り付けられているアイデンティティの中で自作自演の物語から自然に湧き起こっているかもしれません。
 この身体と思考が「私」であるという強烈な脳の癖(=呪縛)を辛抱強く見抜いていく。

<実証実験>
1.第二の矢による分別が起こらないようにしする。また分別が起こっても起こったと気づいていられるようにする。庖丁のように人為という不自然を積み重ねることによって自然に分別に気づく、識別作用を一々働かせなくてもいいようにする。
2.分別過程にスペースがないので、観察する余裕がありません。瞬時に自動的に分別されています。観察できるようにするには、無意識的に行われている感受から分別の間を意識的に観察します。3.無意識行動をヴィパッサナー瞑想により意識的に観るようにします。意識することで観察するスペースができてきます。
4.分別の処理スピードを人為的に遅くして、入力と処理の間にスペースを作り出す必要があります。
5.このスペースを作り出すために、身体の動きを止める。身体の動きを緩やかにする。
6.身体と思いは別々である。太極拳、ヨガ、坐禅、瞑想、◯◯道(=剣道、弓道、茶道・・・)、何もしない、等々。

上記6番などで、身体をなるべく動かさないように集中しているのに、身体に働きかけていること以外でまったく関係のない思考が湧いてきます。今の現状(=身体の停止、身体の微妙な運行制御)とは異なる思考、過去や未来を持ち込んだ思考。現在の事実と反している思考に振り回されているという事実によって、この思考は妄想だということを見抜けます。そして出てくる思考に手をつけず放おっておく。思考が消えていくことをただただ体験します。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。
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