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荘子−7 [気づき]

 もし、自分に自然にそなわっている心に従い、これをわが師とするならば、だれでも自分の師をもたないものはないことになる。この師は自然に備わるものであり、あれこれと、これに代わるものを探したすえに、自分の心が選び取ったわけのものではない。だから、この心の師は、どんな愚かものでもこれを心にそなえているのである。
 日頃感じている苦しみ、悩み、迷い、幸福感などは、すべて影の世界から生み出されたものです。
 ところが、この自然にそなわる心を師としないで、いたずらに是非の判断をするものは、たとえば「きょう、越の国に旅立つのは、きのう、越の国に到着したのと同じである」といった詭弁を、もてあそぶことになる。これは、ありえないことをあるとするものである。ありえなことをあるとするものには、たとえ神にひとしい知恵をもつ王でも、手の施しようがないであろう。まして私の手に負えるはずがない。

「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P174 下段」斉物論
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 あらゆる生命にそなわっている「自然にそなわっている心=それ=一つの意識=本来の自己=仏心=自性清浄心」が私たちの本質であり本体のようです。何処かに本当の「本来の自己」があると思い込み、あちこちに尋ね歩き回って「私=アイデンティティ」が掴み取るようなものではありません

 宗教家や特別に選ばれた人だけが修行や何らかの儀式や指導者に導かれて手に入れたり変化したりするものではありません。特別な人と誰がわかるというのでしょうか。誰もがすでに「それ」だから、誰もが入門でき誰もが発見できるようです。あらゆる生命すべてに平等にそなわっていることは信じるまでもないようです。

 修行して得られるとか師がいなければならないとか教義を学ばなければならないとか聖地に行かなければならないとか誰かだけが高次元だとか真言を唱えなければならないとか坐禅しなければならないとか・・・すべてはただのこだわりや「盲信」かもしれません。しかし、何もしないで棚からぼた餅もないようです。

 仏陀も老子も荘子もネコちゃんもワンちゃんも蛇も蛙も「自然にそなわっている心」に相違があるでしょうか。犬や猫などはモフモフとした現れであり、あなたを見てあなたをいつでも受け入れています。あらゆる生命が透明で境界のない心を持ち合わせているかもしれません。見知らぬものに怯えたり吠えたりするのは単なる影の世界(=本能)の出来事。

 社会生活を円滑に送るために必要な「私」という機能は、親や大人に教えられたり自らの体験によってつくられるもののようです。思考は止めどなくわき起こり、止まることがないようです。常に考えが湧き起こっていることが当たり前になっています。その思考を「私」だと思わないで下さい。状況が生み出したものでことさらに責任を感じる必要はありません。気づいて修正することができます。

 本源(=自然にそなわっている心=本来の自己)よりも実体のない「私=思考=アイデンティティ」が影の世界として働いています。頭の中での試行錯誤は幻であって実際に掴んだり得たりはできません。
 影の世界(=自分かわいいからくる分別)が、苦しみ、悩み、迷い、幸福感などを生み出しているようです。

 言葉は単なる概念であって、「存在」を表象として互に共通したやり取りの記号として定義されています。言葉は「存在」そのものではなく、ただ表象(=シンボル、レッテル)としての音や形(=文字)でしかないということです。本物ではなく伝達手段の道具です。
 「sio」という音を聞いたり、「塩」という文字を見ても”しょっぱい”と現実には感じられません。イメージのやり取りで分からせようとしたり、分かったつもりでいるとういうのが本当のところです。我々のやっているコミュニケーションは元来適当なものです。ひどい言葉を言われても、本質はただの「音」であり日本語のわからない人には何の意味もないただの「音」でしかありません。

 詭弁:あらゆる概念を駆使して、ありもしないことを問いかけます。頭の中では実体がないものをどうにでも扱うことができます。

富士山を荒縄で縛ってもってきなさい
例: 富士山(=真理、本来の自己)を荒縄(=概念、言葉、仏典の知識・・)で縛って(=捉えて、概念化、頭で理解)して持ってきなさい(=言葉で説明してみなさい)
 影が本体を概念で捉えようとすることは、単なる言葉遊び。宇宙いっぱいを限られた言葉でつかまえられるわけがないことを知らしめる。頭ではなんでもできますが、どうしようもないことを頭でやっているということ。「地球上の海水をコップで汲んで持ってきなさい」も同じです、無限なる本来の自己をちっぽけな限られた言葉しか持たない「私」がどうして概念で捉えられるでしょうか。

千尋の底の一つの石を、我が身を濡らさずにもってきなさい
例: 千尋の底(=輪廻)で一つの石(=魂)を、我が身(=今生の自分)を濡らさずに(=今生のそのままで次の世も)もってきなさい(=そのままに生きているのか)
 人間が勝手に作った概念である輪廻や魂や地獄や天国です。人間だけの概念ですから好き勝手に頭の中で遊ぶことができます。我々の身体の中の死滅した細胞は天国に行ったのかそれとも地獄でしょうか。死んだ細胞を気にしていますか?もし、100光年離れて地球と同じような星に同じような人間のようなものが存在していて、見ることもできない無に等しい存在が天国に思いを馳せているとして。その認識できない何か(=人間のような存在)が気になるでしょうか?
 今この地上で、この姿を自身で選んだわけでもありません。ただこの現れがあります。どこでだれがどうしたのかなど説明できないし知ることもできません。なんでもかんでも、知ろうとすることが「私」たちの特性なのかもしれません。たとえ知り得たとしてもコントロールできるわけでもありません。

「隻手の音声」
例:
片手は「私=主体」、もう一方は「他人=客体」。
片手は「私」、もう一方は思考対象。
両手は二元対立(=是非、善悪、美醜、表裏)
片手(=本来の自己、一つの意識)だけで世界を見れば、音(=葛藤)が出るでしょうか。常に「自分かわいい」で分別すれば騒音が出続けるかもしれません。

 思考で解決しようとする習性があります。頭の癖に気づくことは大変なことです。
 頭でもがき苦しむことに対しては、自身で解決しなければなりません。経典を読み尽くしても答えを掴むことはできません。生きている事自体が答えではないでしょうか。
 どんなに思考していようと、食べたり歩いたり坐ったり立ったりを妨げることができません。思考は単なる概念のお遊びであって、「本来の自己」を頭(=思考)で探しだすことはできないようです。

 元来は名前もなく性別もなく国籍もなく、あらゆるアイデンティティを取り去ってしまう。無色透明であり破壊されることもなく生まれたこともなく死滅することもない「それ=空っぽ=何でもない」。 「私」が「それ」を掴み取ったり得たりする対象とすることができるでしょうか。概念を駆使して掴んだり得たり開いたり成就したりすることができるでしょうか。無に等しい「一滴の海水」が海水を飲み込もうと(=掴み取る)頑張っているようなことです。このメタファーも人間の空想の力かもしれません。

<まとめ>
1.年齢、性別、国籍、命の現れを問わず、一切が「自然にそなわっている心=それ=一つの意識=本来の自己=仏心=自性清浄心」がそなわっています。だれもが心の故郷を既にそなえているようです。

2.社会で生きていくために日々「私」を構築しています。これも脳の癖(=習性)であって普通のこと。様々なアイデンティティを身にまとい「自然にそなわっている心=それ=一つの意識=本来の自己=仏心=自性清浄心」を忘れてしまうことになっていくようです。

3.「私=自我」こそが身近にあり自己を支えています。生きている主体ですが、「自分かわいい」が前面に出ることで葛藤(=苦)となります。

4.どうしても、「自然にそなわっている心=それ=一つの意識=本来の自己=仏心=自性清浄心」という故郷に戻りたいという衝動にかられます。

5.言葉や概念に縛られている自分に気づきます。思考では問題は解決しません。思考が無かった時にひとときの「安らぎ」を憶えます。思考のパラドックスで、求めていない時に求めているものに出会っています。求めないからこそ「そのまま」と一体となっています。

6.我々はもともと空っぽで何もないということをひたすら認めていくしかないようです。本源では、平等であり差別区別はありません。社会での「私」と本源の「自然にそなわっている心=それ=一つの意識=本来の自己=仏心=自性清浄心」が同時に働いていますが、気づいている割合を9:1からせめて5:5にするようにしたいものです。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。
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johncomeback

ご訪問&nice ありがとうございます。
老荘思想に興味を持って学生時代に数冊読みましたが
40年経ってすっかり忘れてしまいました(*´∇`*)

by johncomeback (2019-08-18 05:41) 

平凡な生活者

 私も最近、数十年ぶりに手にとって読んでいる次第です。余白に当時の感想が書いてあり、当時のことが思い出されます。
 荘子は既に存在していないので、気楽に自分の思いを表現できます。目を通す方も気楽に見て何か気づいてくれることがあればいいというスタンスです。
 またの訪問お待ちしております。
by 平凡な生活者 (2019-09-07 11:43) 

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