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照見五蘊皆空-2 [仏道]

 「いのち」はただ「いのち」を繋ぐために生きることが目的であった。「いのち」は生まれた瞬間から「死」を宿命づけられ、「己」の遺伝子を次なる「いのち」に引き継ぐことで「己」の価値を見出してきた。

自我」は五蘊を「主体」とみなして活動しています。「自我」は何故生まれたか?
自我」を成り立たせている五蘊というシステムがどうして必要だったのでしょう。「己」を生存させるために「自我」という仮の「存在」を作り上げたのです。

 仮の「存在」は恐怖からの防衛のために常に「思考」することになりました。本来は仮であった「自我」が主人であると勘違いしてしまったのです。
 「己」を脅かす恐怖の楯となっている「自我」が生存の主体となりました。「自我」は主体であることに疑うことなく生きています。
 「いのち」を脅かす恐怖によって「自我」が作られたと言えるのではないでしょうか。

 現在人はどのような恐怖(苦、ストレス)にさらされているのでしょうか。
「いのち」として避けられない老病死、未来に対しての恐怖である求不得苦・愛別離苦・怨憎会苦、瞬時の恐怖である五蘊盛苦があります。
これ以外の恐怖(苦、ストレス)には次のようなものがあるのではないでしょうか。

[肉体的な恐怖]
肉体的な「死」の恐怖(必ず死ぬのだから恐れても意味がない)
肉体の一部が奪われる恐怖(病気による手術等によって切断・摘出)
病気の恐怖(健康であれば当たり前にできたことができなくなる、気が滅入る)
認識不能の恐怖(突然におこる認識不能の恐怖、耳が聞こえなくなる、目が見えなくなる)
認知できなくなる恐怖(社会生活上での自分の世話ができなくなる)
未知の恐怖(将来の不安、身の回りで起こっていることを知らないとすぐに対処できない)
[知識に関連する恐怖]
知識や想像力による恐怖(知識によってかえって不幸な出来事を想像してしまう)
知らないことの恐怖(知っていれば助かったのに知らないばかりに大変な目に遭う)
理解できないことへの恐怖(神などの概念や体験が認知できない)
[望んでいないが将来起こるも知れない]
災害による恐怖(予知・予見できない突発的な災害)
無所有の恐怖(すべてが奪われる恐怖)
失うことの恐怖(失いたくないので執着してしまう)
社会からの恐怖(社会的な弱者となり虐げられる)
貧困の恐怖(余裕を持って生きていたいが、生活が立ち行かなくなる)
[職業生活]
期限を守れない恐怖・責任を果たさなければいけない恐怖(信頼を失う)
仲間外れにされる恐怖(いじめ、いやがらせ)
期待されたことができない恐怖(評価が下がり相手にされなくなる)
ハラスメントの恐怖(一人では対処できない)
[対人]
人間関係の恐怖(馬鹿にされたくない、仲間外れにされたくない、居場所がなくなる)
他人とのトラブル恐怖(安心した生活をおくれない、不安に苛まれる)
変化に対応できない恐怖(状況に対処できない、信頼低下)
感情を制御できない恐怖(すぐに感情的になり制御できなくなりトラブルを起こす)
[偶発的]
襲われる恐怖(他人が信用できない、眠れない、鍵をかける、防犯対策)
嫌な事にあう恐怖(勝手に作り出す恐怖、平穏な生活に難題が持ち上がる)

 日々様々な恐怖(苦、ストレス)にさらされている「自我」は、思考や知識や概念や言葉を使って「己」自身で解決するか、コミュニケーションによって他人と関わりながら解決するかの何れかです。

 肉体的要素と精神的要素からできている「五蘊=自我」によって恐怖(苦、ストレス)となるのですから、「自我」を消滅させることが恐怖から離れ「平安」でいられる「道」として教えられています。

 他人はいつまでも頼りに出来ることはできません。すべてが「己」の問題であり、結局は「己」が解決しなくてはなりません。
 「私、私の、私が偉い、私の尊厳、私の未来」にこだわることによる諸問題です。この問題を解決するには、自灯明・法灯明によって現在位置を確認しながらクリアしていくことです。

 他人も忙しく、時間と費用も掛かります。手っ取り早いのはリタイヤすることです。しかし、現実は、家族の生活もありそうもいきません。この点において、職業生活をしながら仏道修行を行うことは至難を極める道です。
 しかし、地道な努力を続けることで成しえないことはありません。「」という「概念」を使うことが一つの方法であると般若心経で説いています。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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