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照見五蘊皆空ー3 [仏道]

 眼・耳・鼻・舌・身・意という感覚器官に、色・声・香・味・触・法という認識対象が触れることで認識(六識)が生まれます。このとき、認識する主体として「自我」が作られました。
 我々の体は、ただの感受しているだけです。「想行識」によって脳が「意味づけ」することで「自我」が主役の立場となって働きます。
自我」は、さまざまな「苦」という「抵抗」を受けることで一層の存在意義を強化していきます。

 「苦」があることにより、「楽」や「悦び・喜び・歓び・成功、happy,joy,pleasure,congratulate」が「私」は生きていると実感させてくれます。「苦」はできることなら忘れたい逃れたい避けたいので、どこまでも「楽」を求め続けることになります。

 常に恒常なる感受(受想行識)などありえず、恒常なる対象(色)もあり得ません。凄まじいスピードで変化しているので「自我」が連続して存在しているかに見えるだけです。パソコンやTVのドットが点滅して像が作られます。「自我」は、実在しないのに像とし写し出されるのに似ています。「自我」は頭の中で作り出している幻影だとの見解を得なくてはなりません。

 受の段階で終わってしまえば何の問題もありません。次の、想行識となることで確固たる「自我」が形成されてしまいます。
 色も空、受も無常です。認識したときにはすでに消え去っています。感覚器官に囚われても意味はありません。瞬間瞬間で消え去っているのですから、きっぱりと忘れ去ることです。音も景色も皮膚で感じる温暖も消え去っているからこそ味わいがあるのです。

 想:単なる光の波長、音の周波数、鼻にある臭覚を刺激する匂い、舌にある味覚を刺激する味、皮膚の感覚神経を刺激する感覚。ただの刺激データを脳で「言葉」に変換することで「苦」を作っているのです。

例:エレベータの中で嫌いな人と体が触れた。エレベータの中で好意を持っている人と体が触れた。
エレベータの中で見ず知らずの人と体が触れた。エレベータの中で汗臭い人と体が触れた。エレベータの中でかわいい子供と体が触れた。エレベータの中で犬を抱いている人の犬と体が触れた。

 その他さまざまな状況がありますが、嫌いな人は実は双子の一方であり初対面の人かもしれないのです。好意を持っている人も双子で、何の知り合いでもない人であるかもしれません。
 人と体が触れたという状況でも、「自我」の想によって異なるのです。

 全てが成長するための「試験」として対処しなくてはなりません。嫌いになった他人を変えることなどできません。「己」の見方や観念を変えればいいだけの話です。
 好き嫌いは、「自我」が勝手に作っている幻想だということを自覚しなくてはなりません。対象を「空」として好き嫌いをなくすことです。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。


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