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「私」と「他人」 [仏道]

勝手な見解であり、愚か者の独り言。

誰も他人の感受を知ることはできません。
己は己の感受を他人に体験させることはできません。

誰も他人の混乱を完全に消し去ることはできません。
己は己の混乱を他人に体験させることはできません。

誰も他人を直接変化させることはできません。
己は己のみによって変化します。
誰も他人を強制して思いを変化させることはできません。

己は己のみによって確証を得ます。
誰(釈迦もキリスト)も他人を直接に悟らせることはできません。
己は己のみによって自己欺瞞を認知できます。

誰も他人の内面の体験を知ることができません。
己は己のみによって「受」から以降を断つことができます。
己は己のみによって「言葉」を使わずに観ることができます。

誰も他人の呪縛を解き放すことはできません。
己は己のみによって呪縛から解き放たれることができます。

誰(釈迦もキリスト)も他人を直接救うことはできません。
天上から救いの使者が来て救ってはくれません。
夢のようなことを期待しないで、現実を直視して地に足をつけて進むしかありません。

己は己のみによって救われます。
自分が何の努力もせずに、救われると思い込んでいるのは自己欺瞞ではないだろうか。
救われると思っている方は一生懸命に教学に励んでいます。
自身の信心が足りない事を気にしているのでしょうか。
信心があるほど救われ易く、仏に見つけもらえるのでしょうか。

己は己のみによって調息できます。
己は己のみによって坐禅できます。
全ては己の意志です。体調を整え、生活リズムを守り自戒によって生気に満ちた生を送る。

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  オオカミに育てられればオオカミと同じに生きなければなりません。ゴリラに育てられればゴリラと同じように生きなければなりません。人間は「霊長類」という動物であり、環境に適応して「いのち」に従って生きなければなりません。

 両親がどこの国の人であろうが、日本で生まれ日本の風習を学び日本語を話し、日本の教育を受ければ「日本人」として生きていくでしょう。

 環境や教育というもので「私」が作られます。最初から社会性を持ち道徳を遂行する高尚な人間であると言い切れるでしょうか。
 人間社会という環境に生まれ、己が自立して生きていくには「私=自我」を形成して「私=自我」とともに人生を生きなくてはなりません。

 「死」という「極限」状態に直面した時に、「私=自我」など何の役にも立たないことに気づくことでしょう。「私=自我」がどのように命じようとも「身体」は言うことを聞きません。一切の「私=自我」など無いとの知見に達することで「ありのまま」を受け入れるしかありません。

 「私=自我」など「無力」な存在であったということです。生まれたことによって、偉大な尊厳が身についているとの確証を得ている人は多いのでしょうか。
 人と接し、家族や地域、社会の一員として育まれて教育の中で「尊厳」という意味が身に付いていくと思われます。

 無に消え入り、無へと消え去る方を選択したい。特別な己は「私=自我」を増長させるだけです。
求めることを少しずつ減らし気苦労を減らし、今に寛ぎ「一杯のお茶」でも飲んで外の景色を眺めてはどうだろう。

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。
引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。



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